2014年2月9日日曜日

Print-030 写真をプリントする必然性とは?

かつては当たり前のように行われていた写真のプリント。そしてそれらをアルバムに飾り自分で見たり人に見せたりしていました。特に初めての子供の写真などは撮影日がわかるようにきれいに整理され、何十年たっても楽しめるものです。

ところが、著しいデジタル化の波に押され、プリントをする文化が大きく廃れつつあります。これはフィルムネガプリントはそのままでは普通の人が写真を見ることが難しいことからプリントすることが一般的だったこと、ポジフィルムもありましたが、値段も高価であり、一般の人には普及していなかったことがあげられます。そして決定的だったのは、デジタル写真が画像をデータとして保存することが容易であり、ちょっと見るだけならパソコン上でファイルを開けばすぐに見ることができることがあげられます。そして社会はSNSへと進み、画像を多くの人と共有する方向へと向かいだしています。これはPCやスマートフォンからアクセスすることが大前提の仕組みであり、プリントすることは考慮されていません。したがって、データ転送に重きをおいていることから画像サイズは小さくても十分であり、プリントアウトしても解像度が十分ではありません。今後ますます、画像をプリントアウトすることは減ってくるでしょう。表示させるだけならデジタルフォトフレームというものもありますが、爆発的に流行っているとは言えないようです。

この場で取り上げるのは不謹慎かもしれませんが、東日本大震災で多くの家が津波にのみこまれ、多くのモノや思い出が流されました。その中で多くの写真も流されましたが、そのほんの一部かもしれませんが、後に見つかり、持ち主の元へ戻った写真があります。ボランティアのひとつとして被災した写真をきれいにした後に持ち主の元へ返却しようという活動もあります。

例えばですが、同じ被災したものでも、ハードディスクに入った画像データを見る人はおそらくいないでしょうが、物体としての写真は人の目に直接入ります。そこから人や家が写っていれば、もしかしたらそこを知っている人がいるかもしれません。あきらめていた思い出が持ち主のもとに届くことは奇跡的なことなのかもしれませんが、写真という物体になっていれば、そういう可能性が少しでも残るのではないかということです。

もちろん盗難や火災、悪意ある破壊行為には物体としての写真は無力かもしれません。むしろ最近普及し始めているクラウドコンピューティングがこれらの災害には向いているのかもしれません。一長一短あるのかもしれませんが、サイアノプリントにはアーカイバル性もあり、そのプリントした写真の保存性にはデジタルデータよりも高いものがあるのではと考えてみます。皆さんもお気に入りの写真屋大切な写真を額装して物体としての写真を長く残してみませんか?





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